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震災10年イベントレポート
〜CAP HOUSEを訪れて〜 |
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『Someday, for somebody いつかの、だれかに
阪神大震災・記憶の<分有>のためのミュージアム構想|展 2005 冬 神戸』
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日産ラーニング奨学生、KECインターン 吉田愛
同構想は、現代における記憶の伝え方に関心を持つ人々が、記憶の伝え方を多元的に探るコラボレーションである。メンバーは詩人、プロデューサー、ジャーナリスト、社会学・歴史学・民俗学・建築史など研究者。震災の記憶の伝え方はその中心的テーマである。
震災から10年の今年1月14日から23日まで、CAP HOUSE(旧神戸移住センター)1、2階にて開催された。
フォーラムや音楽と詩のセッションも行われた。 |
冷たい雨の振る日の夕刻、一人CAP HOUSEを訪れた。CAP HOUSEが旧海外移民センターだったことと展示会をやっているということだけを聞いて、てくてくと丘を登った。
タイトルを読んで思った。<分有>しに行くのも悪くないけど、「いつかの、だれかに」なんて不確定な対象で、構想を抱けるのかしら…
丘の上にあったのは、昔の分校を彷彿とさせる建物だった。
金曜日の夕刻だったので人も少なく、フォーラムや音楽のセッションもなかったが、「展示」という綴られた記憶の形だけが私を待っていた。
1階の展示室には、ジグザグ状にパネルが並べられ、東京空襲、沖縄戦、水俣病、アウシュビッツ強制収容所、ワルシャワ蜂起、ベルリンの壁など、歴史の証言者たちを扱った解説パネルがあった。これら一つ一つは、時に目を背けたくなるような人間の歴史である。これだけ重苦しいテーマを扱っているのに、読むのが嫌にならなかった。なぜだろう?
ひとつには、事件それ自体を扱うのではなく、それらを記憶として伝える、もの言わぬ歴史的建築物(例えばユダヤ博物館など)の紹介がベースになっていたからだと思う。世界には記憶(形容詞でメモリアル)の名のついた記念館のなんと多いことか!
もう一つは、その扱い方だ。私の受けた歴史の授業では、特に世界大戦の章なぞにくると、先生は日本に対する貶め言で私の頭をいっぱいにし、私は自分が加害者=悪者になったような気持ちになったものだ。しかし、ここにはそのような後ろめたさがなかった。共有することを目的とした、公平な記述があった。歴史が、初めて愛しくさえ思えてくる。歴史的惨事を「知る」ことは猜疑心を増大させるためではない。いかに記憶を喪失させずに伝え残すかということなんだ!
「理解しろ〜」と強制したところで本当の理解=共有は生まれない。だから「いつかの、だれかに」なのである。それぞれの時代に、感じ方は人それぞれだから。
展示場の奥には、お手製のミニ喫茶と小学校の教室でお馴染のガスストーブがあった。冷えた手をストーブで温めながら、一人ボンヤリそんなことを考えた。
*この他、CAP HOUSEの2階には阪神大震災の記憶のあり方を問題提起する様々な試みの展示がありました。
←このミュージアム構想展全体の図録・解説書として、同タイトルの本が発行されています。展示を見れなかった方にも本書は余すところ無く丁寧に教えてくれるのでお勧めです。
※『Someday, for somebody いつかの、だれかに』の図録・解説書はKECでも販売中です。
お申込はkiroku@kobekec.netまで。
【発行:[記憶・歴史・表現]フォーラム / 定価(本体1300円+税)+送料】
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